意見表明の種類って?
まず大きな分岐があると感じます。
個人としての意見表明なのか、会派1としての意見表明なのか、議会としての意見表明なのかによる違いです。
議会として過半数の力を持てるような合意形成過程が発展途上(≒分断されてしまった過去の負の遺産とも言える)であると感じるのと、会派を届け出ることは認められているものの会派が存在しない矢板市議会であるので、今回は個人としての意見表明の意味について考えてみたいと思います。
初議会において議案への反対表明経験
まず、自身の経験として、6月議会にて2つの議案に反対しました。
まだまだ議会が分かってない段階の当選直後の人生初議会でしたので、上手に根回しなんて出来ませんでしたので、もちろん個人としての意見表明です。
ただ、結果としては反対した2つの議案2は、双方賛成多数で可決されたので、現在も粛々と執行部によって進められている状態です。
結果としては、なんの成果物も生み出していない状態ですし、とある議会関係者からは「意味のないこと」とも言われましたし、「議員は賛成が基軸」であるとも言われました。
ただ、良いと思えないことに賛成のボタンを押す勇気は私にはありませんでした。
そんなことをするために、私は帰ってきたのではありません。
そんなカッコつけた表現をしてみましたが笑、とはいえ反対とはとても勇気がいる行為でした。
議場とは、議会とは、個人で責任を背負う政治家とは、そんなプレッシャーのある環境でして、前日の夜まで強い不安を抱えていました。
けれども、自身の判断基準は「矢板のためになると信じれるか否か」と決めているので、勇気をもって反対しました。
そもそも、執行部には反対が必要な議案を作成しないで欲しいですし、誰が聞いても納得できるような議案にならない可能性があるならば、きちんと納得して貰えるような資料作成や、説明努力(説得含む)をしてほしいですし、市のためになるから議会に理解してもらいたいという熱量は微塵も感じることがなかったことも大きかったです。つまり、そういった「体質」に対しての課題感もとても大きく感じたのです。
意見表明は意味があったと思うか?
前述したような気持ちから、結果として可決されてしまった議案に対して反対を表明した成果物は果たしてあったのか?
結論、ほんとうに沢山ありました。
ただ、それは自然発生的なものではありませんでした。
政治活動報告書を作成し、その中で議案への反対について敢えて記載をし、どんな議案で、なぜ反対したのか?についてまとめて自費にて広報を行った結果、たくさんのたくさんの市民の皆様の中に賛同者が生まれたのです。
事務所電話へたくさんの賛同のご連絡をいただきましたし、街で会った際に内容に賛成する旨を言って頂けましたし、インターネット空間上での賛同を頂いたりと、たくさんの仲間が出来ました。
改めて、1番の意義はなんだと感じるか?
それは、政策への興味関心を持っていただけたことだと思います。
日々、賢明に生活をする中で、政治の中身について自然に(受動的に)知る機会って、ほとんどないと思います。
けれども、政治家自らが自身の成果(?)の誇大広告をする類の活動報告でなく、批判されることも覚悟で自身の意見を表明を発信することで、政治の現場の臨場感を少しでも感じていただき、市民のみなさまがそれを読んだ上で、考えた結果としての「賛同」にとても強い意義を感じました。
人物だけでなく、政策で選ぶ政治が、私が市民として求めていたももだったりしていたこともあって、自身の経験からそこに意義を感じた次第です。
今後も、興味をもっていただき、感じていただき、考えていただける、そんな政治活動報告を心がけたいと思います!!
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